マネーと呼ばれた男 フロイド・メイウェザー
5月3日に世紀の一戦と言われるマニー・パッキャオとフロイド・メイウェザーの対戦が実現します。一説には両者合わせて300億円のファイトマネーが発生するとも言われています。このページでは、圧倒的に有利とされている超人的なディフェンス能力を持つフロイド・メイウェザー・ジュニアについて色々と調べています!
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フロイド・メイウェザー・ジュニア
アメリカのミシガン州グランドラピッズ出身
173㎝
リーチは183㎝
47戦47勝
史上初めて無敗のまま5回級制覇を達成した
パウンド・フォー・パウンド(最強ボクサー)と評される
WBC世界スーパーフェザー級、ライト級、スーパーライト級、ウェルター級、スーパーウェルター級王者を獲得している
ニックネーム
2012年と2014年に世界スポーツ選手長者番付1位(年収は100億円以上)を獲得したこともあるが、露骨に高級車や高級装飾品を自慢するため『Money』と呼ばれている。以前は童顔のため『Pretty Boy(プリティーボーイ)』と呼ばれていた。近年は『TBE(The Best Ever 史上最高)』というニックネームで呼ばれることもある。ちなみに、『Pretty Boy(プリティーボーイ)』という呼ばれ方は、試合後、全く顔に傷がつかない、きれいなままだからという説もある。
スタイル
日本チャンピオンの井上尚弥が「何発当てられるか試してみたい」と言わしめるほど、卓越したディフェンス能力とスピードを兼ね備えている。一方で、危険を冒さないそのスタイルは「タッチボクシング」と呼ばれ、マイク・タイソンなどに「まるで芝生が育つのを見ているようだ」と批判的な見方をされることもある。また、トラッシュトークと呼ばれる対戦相手への悪口を盛んに行うため、マスコミ受けが良い選手でもある。
父親は名トレーナー
父親のフロイド・メイウェザー・シニアは、元プロボクサー。ボクサーとしては大成しなかったが、トレーナーとして成功した。育てた選手の中にはメイウェザーだけではなく、オスカー・デ・ラ・ホーヤ、チャド・ドーソン、リッキー・ハットンといった名選手が数多くいる。
一方で、息子であるメイウェザーを、叔父から自身が撃たれた時に盾にするといった行為を行ったことがある。また、メイウェザーはよく殴られていた。このため、息子との関係は良好と言えず、険悪である。一時期、メイウェザーは、母方の姓であるフロイド・ジョイ・シンシアを名乗っていた時期があるほどだ。
フロイド・メイウェザー・シニアには、ロジャーとジェフという二人の弟がいて、共に世界王者になったことがあるチャンピオンだった。シニアは問題を起こして、つかまってしまい指導できない期間も長く、結局、メイウェザーのトレーナーは、2階級王者だったロジャーが務めることが多くなった。
経歴
メイウェザー家はとても貧しく、親子7人で一つのベットルームに寝なくてはいけないほどだった。電気が止められることあるほど、お金に困っていたのだ。また、住んでいる町は治安も悪く、父親は法を逸脱することに手を染めていた。そのような家庭環境だったため、メイウェザーは祖母の家で暮らすことになった。
そして、高校を中退してプロボクサーを目指すことになる。1996年にはアトランタ五輪で銅メダルを獲得した。アマチュア時代は84勝6敗だった。
1996年にスーパーフェザー級でKOデビュー。
1998年にWBCスーパーフェザー級王者を獲得した。
2002年にWBCライト級王者を獲得。判定勝利であり、きわどいジャッジだった。
2005年にスーパーライト級王者を獲得。
2006年のIBF世界ウェルター級王者を、ザブ・ジュダーから獲得。しかし、この試合では両陣営が乱闘を起こすなど、大荒れの試合になった。
2007年にはオスカー・デ・ラ・ホーヤとの世紀の一戦が実現。判定で勝利して、WBCスーパーウェルター級王者となり、史上4人目の5階級制覇を達成。無敗での達成は史上初である。
2008年にはWWE(プロレス)にモハメド・アリ以来のプロレス出場となり、ビック・ショーに勝利した。試合内容は圧倒的な体格差から、劣勢に立たされるも、隙をついての下腹部攻撃、椅子攻撃を敢行し、最後はブラスナックルパンチでビック・ショーの顎を粉砕した(というプロレス的なショーである)。この年、モチベーションが見いだせず、引退を発表するが2009年に復帰した。
2011年にWBCウェルター級王者ビクター・オルティスと対戦。序盤はオルティスがラフな攻撃をしかけ、バッティングをみまった。激怒したメイウェザーは相手が謝罪のハグをしようとしたところで、パンチをみまってKOしてしまう。これをレフリーが見落とし、後味の悪いチャンピオン獲得となった。この頃に、内縁の妻に手を出すなどして、服役することになった。出所後にはボクシングに復帰して、ウェルター級、スーパーウェルター級で活躍を続け、現在まで無敗である。
そして、様々な紆余曲折を経て、マネー・パッキャオとの世紀の一戦の実現にいたった。