2015年 11月7日 村田諒太がラスベガスで、ガナー・ジャクソンと対戦! 放送日時、選手名鑑を掲載!
ロンドン五輪で金メダルを獲得して、プロに転向した村田諒太。現在7戦を戦い、全勝(5KO・2判定)という安定した結果で、実績を重ねています。順調な世界王者への道を歩んでいる村田が、ボクシングの本場・ラスベガスで試合を行います!→試合結果はこちら
試合日:11月8日(午前中)
放送日時:11月8日16時~(フジ)
解説者:具志堅用高・西岡利晃
※フジテレビの放送は録画中継
村田諒太
奈良県奈良市出身
1986年1月12日生まれ
182㎝
ミドル級
7戦7勝
WBC5位 WBO8位 IBF8位 WBA14位
アマチュア成績:138戦 119勝 (89KO) 19敗
帝拳ボクシングジム所属
3人兄弟の末っ子
両親は村田が小学校6年生の時に離婚している
幼少は水泳、中学校の時には陸上をやっていた。しかし、家庭事情もあり、喧嘩が絶えず、金髪にするなどすさんだ生活を送るようになる。この頃、奈良工業高等学校のボクシング部や、進光ボクシングジムでトレーニングをするようになった。
南京都高等学校に進学すると頭角を現し、高校5冠を達成した。
東洋大学に進むと、2004年に全日本選手権で初優勝をはたす。
2005年の世界選手権では1回戦負けを喫する。
2006年のドーハアジア大会でも1回戦負け。
2007年には世界選手権の2回戦で敗北。
2008年は北京五輪・2次予選で敗退となり、現役生活を1度はあきらめた。この年、東洋大学の職員兼ボクシングコーチに就職した。
2009年になるとボクシング部の生徒が不祥事を起こす。このことがきっかけで、母校の名誉を回復させるため現役復帰をすると、2009年から2011年まで、全日本選手権で3連覇をはたした。また、2011年にはインドネシアの国際大会で初優勝をはたす。さらに、10月の世界選手権では銀メダルを獲得して、ロンドン五輪の切符も勝ち取った。このように、2011年が村田にとって、大きな転機となった年といえる。
2012年のロンドン五輪では、アブデルマレク・ラフー(アルジェリア)、アデム・キリッチ(トルコ)、ウズベキスタン(ウズベキスタン)、エスキバ・ファルカン(ブラジル)を破って金メダルを獲得。ファルカンとの試合は、13-12という僅差であった。
2013年に紆余曲折があったが、アマチュア引退勧告があってプロに転向。この年、日本スーパーウェルター級王者の柴田明雄を相手に、2ラウンドでTKO勝ちを収め、世界19位にランクされた。12月にはデイブ・ピーターソンに、8回TKO勝ち。
2014年2月にはカルロス・ナシメント(ブラジル)に4回TKO勝利。
5月にはヘスス・アンヘル・ネリオ(メキシコ)に6回KO勝利。
9月にはメキシコ王者のドリアン・ルナ(メキシコ)に判定勝利。
12月にはジェシー・ニックロウ(アメリカ合衆国)に判定勝利となり、IBF世界ミドル級ランキング15位となった。
2015年5月には、アタイデ(WBO世界ミドル級15位)5R・TKO勝利して、7勝目を飾った。この試合がおこなわれた興行では、スーパーフェザー級王者・三浦の世界タイトル防衛戦、元2階級王者の八重樫の再起戦をさしおいて、ノンタイトル戦の村田がメーンを飾ることになった。
ロンドン五輪の銅メダリスト清水聡とは、良いライバル関係にあった。
フェリックス・トリニダードを尊敬している。
喧嘩をしたら負けると思ったアスリートに、室伏広治と朝青龍をあげたことがある。
勝負曲はSuperflyの「Beep!!」
2010年に東洋大学に勤務する4歳上の女性と結婚して、2人の子供がいる。
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ガナー・ジャクソン
ニュージーランド出身
175㎝
29歳
31戦22勝6敗3分(8KO)
スタイル:右ボクサー・ファイター
元WBOオリエンタル・ミドル級王者
世界ランキングには今年春まで入っていたが、その後はランク外。
KO負けの経験がない。手数が多く、相手のパンチをいなすのが上手。 一方でKO率が低い。
オーソドックスな構えから、中間距離での打ち合いを得意としている。また、前に出るタイプで、素早い攻撃から主導権を握ろうとする。
ジャクソンにとっては、村田を倒すことで、再び世界への足掛かりとなるため、勝利への意欲は高いだろう。
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