日本ハム 斉藤祐樹 輝きを再び…
斎藤祐樹 輝きを再び…
2011年に大フィーバーで日本ハムに入団した斎藤。1年目こそ6勝6敗という成績をあげましたが、2年目は5勝、3年目は0勝、4年目は2勝どまりとプロの壁にぶつかっています。5年目の今年は、斎藤にとっても大きな節目となる1年になるでしょう。17日のキャンプではチーム最多となる207球を投げ込みました。そんな、鬼気迫る斎藤祐樹を今回は追っていきます!
群馬県で生まれた斎藤は、小学1年生の時から地元の野球チームに所属していました。
地元での成績は準優勝、関東大会はベスト8でした。
出典:http://tanakamasahirojouhou.blog
2004年には早稲田実業高等学校に進学します。
2005年 2年生になった斎藤は背番号1を付け、秋の都大会・準決勝で完封勝利を挙げ24年ぶりの優勝に貢献しています。同年11月の明治神宮野球大会では、駒澤大学附属苫小牧高校と準決勝で対戦。ライバルとなる田中将大と初めて投げ合い、チームは敗れています。
2006年・夏の甲子園では2回戦で後のチームメイトになる中田翔と対戦しています。この時は4打数無安打3三振に抑えています。
そして……決勝では、田中将大をエースにすえ、夏の甲子園3連覇を目指す駒大苫小牧高校と対戦します。
甲子園での歴史に残る名勝負
決勝戦は投手戦となり延長15回引き分けになります。決勝では37年ぶりとなる翌日の再試合に斉藤は自ら志願して登板。4連投となりましたが、最期は田中を打ち取り、早実を初の夏の甲子園優勝に導きます。この歴史に残る名勝負の主役となった斎藤は、投球回69、投球数948という一大会の記録を達成したのです。
2007年には斎藤は早稲田大学教育学部に進学します。
斎藤は1年目から活躍し、春・秋のリーグ戦の優勝決定戦で登板して、勝利投手になっています。特に秋季リーグの防御率は0.78という素晴らしい成績でした。
2008年はリーグ最多勝となる7勝をあげます。
2009年は球速を求めてフォームを改造。その結果、フォームを崩してしまい、成績もふるいませんでした。
2010年は主将としてリーグ戦優勝、大学日本一という有終の美を飾り、日本ハムに1位指名で入団することになります。
プロの洗礼を浴びる
2011年 大フィーバーで迎えられた斎藤。4月17日のロッテ戦で初登板をし、5回4失点で初勝利をあげました。
この年は怪我などもありましたが、6勝6敗・防御率2.69と新人としては合格点となる成績をあげました。
2012年は就任した栗山監督に開幕投手に指名され、9回1失点で初の完投勝利をあげます。開幕戦での初完投勝利は50年ぶりの記録でした。序盤戦はさらに完封勝利をあげるなど調子が良かった斎藤ですが、後に6戦連続で勝ち星がなくなるなど成績不振に陥ります。7月には2軍に落ちますが、そこでも打ち込まれるなど、調子はあがりませんでした。この年、成績は5勝8敗、防御率は3,98でした。
2013年は前年から抱える肩の痛みがあり2軍スタート。1軍の登板は1試合にとどまり、1勝もあげることができませんでした。防御率は13.50。
2014年は7月31日のロッテ戦に先発。785日ぶりの勝利投手になります。
この年、2勝1敗・防御率は4.85でした。
選手としての特徴
オーバースローから最速150キロを投げる。平均球速は139キロ前後。変化球はスライダー、カットボール、フォーク、ツーシーム、まれにチェンジアップやカーブも投げる。制球力が高く、低めにボールを集めて、ゴロを打たせるピッチングを得意とする。また、危機察知能力が高く、打たれそうな時にボール球をとっさに投げることができ、得点圏の被打率が低い。
しかし、プロに入ると、ストレートの球威不足が目立ち、ボールが先行することが多くなった。結果、配球が難しくなり、フォアボール、被弾などが多くなった。
野村克也氏のプロ入り前の評価
〝(制球力の高さをほめ)「よい配球をすれば毎年10勝以上できるよ」
〝「大人しいようで、きちんというべきところでは自己主張している。骨があるピッチャーだ。今日から佑ちゃんのファンになったよ」
〝「マー君は速球派になるか技巧派になるか悩んで成績を落としたことがある。どちらを目指すにしても、速球派・技巧派をきちんと定義して取り組むように」
輝きを再び…
出典:http://www.gettyimages.co.jp
甲子園で見せた斎藤の輝き。
そして、大学でもその輝きは続きました。
しかし、3年時にスピードを求め、フォームを崩してから迷走しているように思います。
原点に戻り、再び輝く姿を期待したいと思います!