吉田香織 元実業団、今は市民ランナー リオ五輪出場は!? 選手名鑑
11月15日の第1回さいたま国際マラソンで、粘りの走りで、日本人1位、総合2位に輝いた吉田香織。実業団時代からマラソンでも活躍、市民ランナーとなり、34歳となって再び、活躍を見せています。このページでは、吉田香織について調べています。
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吉田香織
埼玉県出身
1981年8月4日生まれ
埼玉県立川越女子高等学校を卒業後、積水化学に入社。これは、小出義雄の誘いを受けてのものだった。
当時はぴょんぴょんはねるスタイルから、「牛若丸」と呼ばれていた。シドニー五輪の金メダリストの高橋尚子とも、練習などもしていた。
2003年に資生堂に移籍。 2006年には、北海道マラソンで初マラソンに挑戦にして、初優勝をはたした。このレースは世界陸上の選考も兼ねていたが、2時間26分台という結果だったため、選外となった。
2007年に、セカンドウィンドACに移籍。
2009年の北海道マラソンでは3位だった。
2009年には、アミノバイタルACに移籍。精力的にマラソンレースに参戦する。しかし、2013年に摂取禁止物の違反があり、2年間の資格停止処分を受けた。
その後、雑誌『Runners Pulse』(創芸社)のクラブチーム・チームランナーズパルスへ移籍した。
2015年のソウル国際マラソンで11位、北海道マラソンで2位となる。 さらには、同年11月の第1回さいたま国際マラソンで、日本人最高位となる2位を獲得。35km過ぎまで先頭集団を走り、その後、海外選手2人に先行を許した。しかし、2位の選手をかわしてゴール。粘りの走りを見せている。
このレースは、3大会あるリオ五輪選考レースの一つであり、一躍、代表候補に躍り出た(ただし、陸連の見解では、レース展開に対して評価は芳しくない)。タイムは2時間28分43秒で、自己ベストを更新した。
クラブチーム移籍後は、大会前には無理な練習をせずに、体力を温存する調整法で、結果を出している。
2012年の別府大分毎日マラソンで、猫ひろしのペースメーカーをつとめたことがある。
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