パズドラの生みの親・ゲームクリエイター森下一喜 漫才師もやっていた彼の哲学や生い立ちは…?
森下一喜
ガンホー・オンライン・エンターテイメントの現在の社長です。
病院を経営する裕福な家庭で生まれましたが、父親の事業が失敗し大学への進学を断念。
教師から「お前のような奴は漫才師か車のセールスマンくらいしかなれない」と言われたこともあり、漫才師を6年ほどやっていたユニークな経歴の持ち主です。
アルバイトは他にも、バーテンダー、引っ越しの手伝い、レンタルビデオ店、工事現場の現場監督などをやっていました。
漫才師を解散すると、スーツ姿の営業職につき、さらには、ゲーム会社・ドルフィンネット株式会社を立ち上げます。
しかし、会社はうまくいかず、出資を模索していたところで孫泰蔵に出会い、道が開けます。
2002年に弟がやっていたラグナロクオンラインをみて、韓国から独占運営権を獲得。会社を急成長させます。
2004年に代表取締役社長に就任。
後に怪物的ヒットとなるパズドラを生み出しました。
ガンホー・オンライン・エンターテイメント
略してガンホーはオークションサイト・OnSaleとソフトバンクの合弁企業、オンセール株式会社として誕生し、初代社長には孫正義の弟、孫泰蔵が就任しました。当初はオークションサイトを運営していましたがうまくいかず、オンラインゲームに事業を変更。
韓国のラグナロクオンラインの国内運営権を獲得し、オンライン市場の発展とともに事業も成功をおさめていきます。
2006年にはガンホーゲームズを展開。2012年にはパズル&ドラゴンズをリリース。営業利益は7,9倍となりました。
2013年にはソフトバンクの連結子会社となっています。
現在は孫泰蔵は会長となっています。
森下氏が過去に行った基調講演(2013年)
〝(ヒット商品を生み出すには?)
「ヒットの方程式は、やっぱ、ない」
「『パズドラ』がヒットしたのは運がよかったからです」
「その答えは永遠のテーマ。少しでも理想に近づけるように努力するのは当たり前のことだし、しなければいけないことです」
(ゲーム開発に関して)
「すべての開発者に対して、本当にすごいな、と思っています」
「どのプロジェクトとは言えませんが、悔しくて涙を流したり、チーム内で問題がおきたり、(スタッフが)突然会社にこなくなってしまったり」
「さまざまなクリエイティブの中で、もっともすばらしいのは、チームで物を作ることです」
「ゲームの数だけドラマがあるんです」
(開発者として大切なこと)
「つまらぬものはならぬものです」
「この業界では、とかく分析したがる人が多い。それが悪いとは言わないし、データ分析、マーケティング活動も必要だけど、そればかりに流されてはダメです」
「つねに頭を巡らせていれば、いつか何か出てきます。その何かが、もしその場で使えなくても、いつか何かの役に立ちます」
「ストーリーを作っていって、本当にそうなりそうだと思えたら、本当になるんです。ヒットするときって、こういうことが確信に変わる瞬間があります」「どんどん妄想してください」
「秘訣は、『パズドラ』に縛られねえことです、『パズドラ』の事は忘れて、自分達が創りたいものを創ればいいんだし」
(自分の過去について)
「寿司を食べにいくときは、家にお寿司屋さんが迎えに来てくれました。だから子どものころは、寿司は車で迎えにきてもらって食べるものだと思っていました(笑)」
(父親の事業が失敗し、森下氏も連帯保証人だったため、若くして億単位の借金を抱えることになった)「まあ、運よく借金は返せましたが、そんなこともありました」
(座右の銘)
「波は乗るものではなく、起こすものです」
(森下氏が20代半ばのころ、六本木のオカマバーのママに言われて衝撃を受け、以後心に留めているものである)
(心に留める大切なこと)
「うまくいったことはほぼない、というくらい、失敗の連続です」
「長く苦しんだり、悔しい思いをして、運営と開発の一体化を目指してきた経験を活かすことができた」
「どうやればいい、という説明はできません。これはやってもらうしかない。トラブルでいろいろ言われても、くじけず続けることです」
「市場だけが大きくなっても、ゲーム業界は変わらねぇ。開発者が学び、ゲームを育てる力を養ってこそ、十年後、百年後、この業界はもっと良くなる」
「僕たちもいっしょに学んで、十年後、百年後のゲーム業界がもっとよくなっているようにしたい」”
出典:「つまらぬものは、ならぬもの」ガンホー・オンライン・エンターテイメント森下社長の“開発賛歌”【CEDEC 2013】 - ファミ通.com