復活をかける楽天にデーブ大久保が就任。デーブ大久保の歩みをまとめました。
去年最下位に沈んだ楽天。星野監督も退任しました。
出典:http://special.pacificleague.jp/LP/victoryE2013/
(写真は宙に舞う星野監督。はたして大久保監督が舞うことはできるのだろうか?)
そんな楽天は、2015年の監督にデーブ大久保を指名しました。
出典:http://www.xanthous.jp/2014/02/27/rakuten-2gun-ohkubo-warning/
(過去の暴行事件を受け、一部のファンは反対運動を展開した。
大久保監督の就任には、三木谷オーナーの強い後押しがあったと言われている)
出典:Getty Images
引退した後、大久保監督は少年野球のチームを設立しています。
その野球チームに、三木谷オーナの息子も所属してました。
出典:http://news-labo.net/baseball/?p=15613
(とにかく明るい大久保監督。この性格は、ムードメーカーの役割もはたすだろう)
- 茨城県出身
- 西武に捕手として入団。しかし、正捕手に伊東勤がおり、代打要員だった。
- 巨人にトレードされた1992年の前半戦は、打率3割、ホームランは12本だった。(後半戦には失速し、体力不足が露呈した)
- 1995年に足の骨折で引退するまでは、村田真一と正捕手の座を争った。28歳の若さだった。
- 引退後はプロゴルファー、野球教室の経営、解説者としてすごしていた。
- しかし、渡辺久信の強い要望から、西武のコーチに就任。中村ら、多くの一流打者を育てた。
(西武時代、中村と談笑するデーブ大久保)
2008年の西武の打撃コーチとして、MLB流の早朝練習(アーリー・ワーク)を取り入れ、10数通りのケースバッティングを叩き込み直し、打線を機能させる意識改革を行った。
一軍半が長かった経験から、一軍コーチと二軍コーチの綿密な連絡の有無が若手の成長に影響を与えるという考えで、コーチ陣会議を開催して円滑な選手育成を行った。
順調に西武でコーチとして活躍しましたが、選手への暴行事件が発覚。
解雇されました。
- 大久保コーチ(当時)は、アーリーワークを導入。遅刻した選手には罰金を課していた。
- 球団は罰金をやめるように注意した。
- このことがもれた大久保コーチが、菊池雄星だと決めつけ暴行を働いたとされる。
一時はプロ野球の世界から身を引いていましたが、星野監督の要請で2軍のコーチとして復帰。去年、優勝の原動力となる若手打者を育てました。