井村雅代 日本代表コーチ 再びシンクロを強豪国に育て上げられるか!?
日本のシンクロを世界のトップレベルに押し上げたコーチが井村雅代です。アテネ五輪後には、日本代表のコーチを退き、中国代表、イギリス代表のコーチを歴任。しかし、2014年に再び、日本代表コーチに復帰しています。はたして、シンクロは再び、メダルを獲得できる強豪国に生まれ変わることができるのでしょうか!?
井村雅代
大阪府出身
中学時代から、シンクロを始める。 選手としては、日本選手権で、二度優勝している。 また、公開競技として行われたミュンヘン五輪にも出場している。
その後は中学校の保健体育科の教諭を経て、シンクロ指導者に転身した。
1978年から、日本代表コーチに就任すると、スパルタ式指導法で、世界的な選手を数多く育てた。
1984年のロサンゼルス五輪では、日本代表コーチとして、ソロ、デュエットで日本初の銅メダル獲得に貢献した。
1985年には井村シンクロクラブを創設する。このクラブは当初、専用プールがなく、時に2時間をかけて、深いプールを求めたこともある。
バルセロナ五輪では、井村シンクロクラブの奥野史子が、ソロ、デュエットで銅メダルを獲得した。
1996年のアトランタ五輪では、チームで銅メダルを獲得した。
2000年のシドニー五輪では、立花・武田組のデュエット、チームで銀メダルを獲得。
2004年のアテネ五輪でも、立花・武田組のデュエット、チームが銀メダルを獲得した。
2004年をもって日本代表コーチを退任すると、中国代表のコーチに就任。
2008年の北京五輪では、中国代表がチームで銅メダルを獲得。
2012年のロンドン五輪では、デュエットで銅、チームで銀メダルを獲得している。
2013年には短期間ながら、イギリス代表のコーチに就任した。
2014年には日本代表コーチに復帰した。 コーチ復帰時は、別の国を教えるというような感覚で、選手、井村双方に戸惑いがあった。
井村雅代は、最初の1ヶ月で脂肪を落とすための陸上トレーニングを行った。世界を見てきた井村にとって、勝てる選手とは、体がシャープで美しく、その場に立っているだけで強さが映えると考えているからだ。
また、筋力トレーニングをしたものの、体のある部分が硬かったりする選手がおり、必ずしも筋力強化が効果として現れないなど、壁に当たっている。それでも、腹をくくって、日本代表を強くしたいと語っている。
厳しい指導
2015年の世界水泳ではデュエット・テクニカル、チーム・テクニカルで2007年以来の銅メダルを日本代表にもたらした。
その指導をするにあたって、選手には120%出すように求めた。
「しんどいと思うが、厳しく、自分を追い込んで練習してほしい」
と伝えた。
合宿では朝7時半に練習が始まり、日付を超えることもあった。16日間の合宿ならば、休日は1日だけ。その一日も、自主練、課題克服に当てられた。
また、空元気でも笑顔を求め、練習中に涙を見せないように求めた。