日本代表監督就任が決定したヴァヒド・ハリルホジッチとは…
ブラジルでのW杯グループリーグ敗戦を受けて監督に就任したアギーレ監督。しかし、八百長問題が浮かび上がり退任。様々な人物が監督候補として名前にあがりましたが、ハリルホジッチ氏の監督就任が決定しました。W杯敗退後、W杯での実績がある監督、ザックの攻撃サッカーの継承などが課題に上がりましたが、今回の監督はどのようなサッカーを目指すのでしょうか? 今回はハリルホジッチに迫ります!
ヴァヒド・ハリルホジッチ
出典:http://www.gettyimages.co.jp/
現役時代
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ボスニア・ヘルツェゴビナ出身
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名前の由来は「親友(ハリル)」「指導者の子孫(ホジッチ)」
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選手時代のポジションはFW
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フランスリーグのナント、パリSGなどで活躍。ナント時代には2度のフランスリーグ得点王に輝いている
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1982年にはW杯にも出場している(代表経験は15試合に出場して、8得点と多くはない)
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旧ユーゴは政治情勢もからんだ選手選考があり、ベオグラードなどBIG4と呼ばれるチームからの選考が多かった。ハリルホジッチはBIG4のチームではなかったため、あまり代表に呼ばれなかった。
〝「ベオグラードのスタジアムの電光掲示板には、オレの名前が長すぎたからだろう」と笑い飛ばしている。ボスニア人(正確にはヘルツェゴビナ人)らしく反骨の頑固者で、同時にユーモアのセンスも兼ね備えているのだ”
出典:代表監督内定、ハリルホジッチとは何者か|コラム|サッカー|スポーツナビ
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元日本代表監督のオシム氏との親交もある
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民族紛争のおりに、自宅前の銃撃戦をとめようとして「戦争になったら敗者だ」と止めに入った。顔が知られているため、銃撃戦にならないと考えたからだ。しかし、弾があたり重傷となった。その後、フランスに脱出。自宅は焼き払われた。そのてんまつは、「モスタルのワハ(=ハリルホジッチ)よ、生きているか」という流行歌になった。(ちなみにオシム氏も戦火に巻き込まれた経験を持つ)
監督時代
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ヴェレジュ・モスタル(ユーゴスラビア)で監督生活をスタート
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モロッコのラジャ・カサブランカで国内リーグ2連覇
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フランスのリールOSC(1998年~2002年)
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2008年~2010年にはコートジボワール代表監督を務めるが、アフリカネイションズカップでの準々決勝敗退の責任を取らされ解任
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2011年よりアルジェリア代表監督に就任。ブラジルW杯では優勝国ドイツを延長まで追い詰めた試合が印象に残る
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W杯後、トルコの監督が決定した後に、本田が所属するACミランのオファーが届いたため就任できなかった
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2014年11月にトルコのクラブチームと契約解除
出典:http://www.gettyimages.co.jp/
監督としての特徴
コートジボワール代表では史上稀にみる攻撃的なチームを作るが、うまくいかなかった。アルジェリア代表では北アフリカの特徴である綺麗にパスつなぐサッカーにタイトな、守備と鋭い速攻を植え付けてW杯ベスト16に導く。アルジェリア代表では、対戦相手によって「4-2-3-1」「4-3-3」「5-4-1」を使い分けた。「ルール、規律、練習」をモットーに、全選手が走るサッカーを好み、スター選手も平等に扱い特別視しない。ハードワーク、ダイナミックなコンビネーションを求める。練習はハードだが、選手の人望を厚い。反面、マスコミや経営陣の派閥争いなどの雑音を嫌う傾向が強い。アルジェリアが善戦したW杯のドイツ戦では、敗戦後に男泣きしたシーンが世界のファンの心をつかんだ。
海外のメディアはハリルホジッチ氏の就任を、再び日本がギャンブルを行うと伝えているが…日本のサポーターの心もつかめるか注目が集まる。
「わたしは平和主義者で理想主義者だが、同時に完璧主義者でもある。物事を中途半端にやることはわたしにはありえない。そして、常に『勝利』を追求する。スポーツにおいて、わたしが関心があるのは『勝つこと』。ただそれだけだ」
出典:勝利のためには非情采配も――。フランス在住記者が迫る、次期代表監督ハリルホジッチの知られざる人物像 (フットボールチャンネル) - Yahoo!ニュース