日本代表・遠藤保仁が語る『良い監督』の条件とは…
W杯選出4回に及ぶ遠藤保仁。日本代表として152試合に出場し、15得点をあげています。AFCアジアカップ2015では、34歳でアジアカップの日本代表最年長ゴールを更新、国際Aマッチ出場150試合を超える経験豊富な選手です。そんな、遠藤選手が良い監督の条件を「信頼する力」という本で、南アフリカW杯後に語っています。いったい、ベテランの遠藤選手が評価する監督とは、どんな監督なのでしょうか?
ガンバ大阪の遠藤保仁がW杯のメンバーに初選出されたのは、2006年・ドイツ大会のジーコジャパンの時です。しかし、その時には第3GKの土肥と遠藤のみが出場することができませんでした。実は遠藤はこれ以前にもトルシエの時に、U-20代表として、日本代表に参加しています。遠藤はトルシエに関しては「エキセントリックで、典型的な精神主義者」だったと表現しています。「ファイトしろ」「闘志を見せろ」が口癖で、敗戦した時などに椅子でも蹴るようなことをしないと、やる気がないとみられてしまったそうです。スタンドプレーが多くなるトルシエのやり方に、遠藤はついていけませんでした。トルシエはやる気をみせないと、胸倉をつかみ、罵倒し、さらし者にするということもあったそうです。勝つことよりも、戦うポーズを重視するように見えたと語っています。遠藤はトルシエの代表には、最終的に選ばれませんでした。
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次のジーコの時には遠藤は最終的に代表に選ばれ、W杯に参加することはできました。ジーコの時には、黄金の中盤が「中田・中村・稲本・小野」の4人で形成されました。遠藤がジーコに疑問に思ったのは、海外組と国内組の起用の差だったといいます。一言で言えば、海外組はどんな時でも、優先されてしまったといいます。結局、遠藤は海外組がいない試合では出場しましたが、肝心のW杯では出番が回ってきませんでした。
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オシムが次の監督になると、「やたらに走らされる」イメージを持っていた遠藤は、抵抗があったといいます。もともと、遠藤は走るのが好きではありませんでした。しかし、いざ指導を受けると、やみくもに走ることを評価しているわけではないことがわかりました。「走ることの本当の意味を学んだ」と語っています。いかに危険なエリアに走っていけるか、効果的に相手の嫌なところに走れるか、味方のために走れるか…目から鱗の指導だったと言います。また、オシムにはよく怒られたと言います。それは、トルシエのように突発的に怒り、選手に理解ができない類のものではありませんでした。
”怒ったりするのはもちろん、「走れ」「考えろ」ということは味方の選手をラクにさせ、いい攻撃をするためのものであり、すべてはチームの勝利のためだ。そういう犠牲心の重要性をオシムさんは、気付かせてくれた”
”監督との信頼感は、非常に重要だ。会社でも信頼関係がなければ、生産的な仕事はできないし、大きな目標を達成することはできない”
”(オシムは)あれだけ尊敬と信頼を集めた監督はいなかった”
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”(オシムの遠藤への評価)「常に自分をコントロールし、チームメイトや対戦相手もコントロールする。その知性はチームに大きなプラスアルファをもたらす。彼がいれば監督は必要ない」”
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そんなオシムが病に倒れ、後を引き継いだのが岡田監督でした。岡田監督はとにかく遠藤を信頼し、よく相談をされたと言います。
「やりづらい部分」「選手のポジションに関して」「選手の気持ち」などを聞かれ、一番選手の中で話したそうです。「マメに選手の話を聞いてくれるのはありがたい」と遠藤選手は語っています。そうすることで、選手と監督の視線のギャップがなくなるからです。
このように、岡田監督は耳を傾ける寛容さがあったと言います。その上で自信を持ち、厳しく、妥協を許さない監督でした。そして、「勝つために半端ない努力をしている」監督だったと言います。
”岡田監督を見ていると、良い監督、良くない監督の基準がハッキリ見えてくる。
チームを強くし、勝つために研究や努力を怠らない。
相手チームのことやトレーニング方法など、本当にいろいろ研究していた。
「監督って、このくらいやらないとダメなんだ」って思った。”
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遠藤は岡田監督を信頼し、信頼される良い関係を築くことができました。岡田監督はいろいろな分野からトレーニングメニューを取り入れていました。そして、それは走り方であったり、体幹の鍛え方であったり、色々気付かせてくれて、選手として向上するきっかけを指導してくれたと言います。
”あれだけ真剣にサッカーと向かい合う人もいない。そういう姿勢を見せてくれるだけで、選手もチームも変わる。不思議なことに「やってやろう」という気になるのだ。
岡田さんのような監督は、日本にはなかなかいない。
また、いつか岡田さんと一緒にサッカーをやれたらと思っている。”
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