卓球界の新星 中学生の平野美宇 彼女を育てた母親の教育方法とは…!?
2014年に伊藤美誠(いとう みま)とのコンビで、女子卓球ダブルス優勝の最年少記録を打ち立てた平野美宇(ひらのみう)。2015年の世界卓球では、混合ダブルスの金メダリストを、シングルスの2回戦で破る金星をあげています。今回はそんなあらたな可能性を秘めている、中学生の平野美宇にスポットを当てていきます。
平野美宇
静岡県生まれ山梨育ち
2000年4月14日生まれ
現在15歳の中学3年生
両親ともに筑波大学の元卓球部主将で、三女以外が全員卓球をするという卓球一家に育った
幼いころから卓球がうまく、負けそうになると泣いて悔しがったため「第2の愛ちゃん」と呼ばれる。
福原以来、小学校1年時に全日本卓球のバンビの部で優勝をはたす。
2014年の中学2年時に、全日本でベスト8入りをはたした。
平野家の方針として、卓球を始めることなどはすべて本人の意思に任せている。
普段はおとなしい性格で、折り紙などが趣味である。
幼少の頃からメディアに取り上げられる
平野美宇は、福原愛と同じように、小さいころから頭角を現して、メディアにも取り上げられており、経歴にあるように「第2の愛ちゃん」と呼ばれていました。また、卓球を始めたきっかけも、母親が好きだったという点も同じです。平野の場合は、母親が卓球教室を開いており、泣いて一緒にやりたいと頼んだのが始まりです。そんな彼女は、あこがれの選手として福原愛と張怡寧を挙げています。
伊藤美誠とのコンビで快進撃
出典:http://www.report.kokusaitakkyu.com/
平野美宇を一躍有名にしたのが、伊藤美誠との女子ダブルスでの活躍です。二人は5歳の頃に一緒にプレーして、小学校6年生の時からツアーに参加しています。遠征先でも一緒に過ごし、気に入った物があったら、ペアルックでも一緒に買ってしまうほど仲が良いそうです。彼女たちは2014年にドイツオープン、スペインオープン、さらにはツアーファイナルで優勝するという快挙を成し遂げました。この時、彼女たちは13歳で、ツアー史上最年少記録をうちたてました。
母親が平野の卓球選手としての土台をつくる
母親の真理子さんは、元学校の教師でした。そのため、子供心がわかっており、強制することなく、平野美宇が興味をわくように、身近にラケットや卓球台などを置く環境を作りました。「強制すれば、やりたくなくなる」とは真理子さんの言葉です。
また、一流に育てるために、競技開始年齢は重要だと考え、幼少のころから、なんでも自分でやらせるようにしていました。例えば、忘れ物も自分の責任と言い聞かせ、荷造りもすべて平野美宇にやらせました。さらに、実家の山梨から大阪に練習に行く機会があれば、一人で行かせたそうです。まだ、平野美宇が小学3年生の時でした。
「本当に困った時に手を差し伸べればいい。普段は見守るのが大切です」と語る真理子さん。平野美宇は、5歳の頃は、試合に負けそうになるとよく泣いていました。そんな時も、叱るのではなく、なぜ泣いてはいけないかを語りかけたと言います。その時はイライラすることはあっても、いつの日かそれが理解できる日がくると信じて、根気よく語りかけたということです。また、誕生日にはキャンプに行ったり、手作りのケーキを焼いてあげたとのこと。真理子さんは、平野が五輪を目指す上で必要だと、中学になると上京させました。
そんな母親のことを、平野は「私生活も、試合の時も厳しかったです」と語ります。幼少の時には、洗濯物を畳んだり、干したり、家事手伝いもできるのが当たり前になるまで、しつけられました。しかし、今では「母親のように、あいさつや私生活をちゃんとできる子供に育てられるような母親になりたい」と語っています。真理子さんの愛情と厳しさが、両方伝わっているようですね。
平野選手はまだ若い選手です。これから、色々な壁にぶつかることもあると思いますが、粘り強く、成長していってほしいと思います。
参考文献:【出動!特命記者】平野美宇を育てた極意!天才卓球少女はこうして生まれた
子供へのスポーツ教育という点では、テニス界のナンバー1となったこともあるラファエル・ナダルの厳しい叔父との関係も記事にしているので、興味がある方はご覧ください。
☆ラファエル・ナダル伝・なぜ、彼はナンバー1になれたのか→こちら