短編アニメ『ダム・キーパー』がアカデミー賞にノミネート アニメ監督・堤大介の言葉…奥さんはとなりのトトロのメイ!?
短編アニメ『ダム・キーパー』がアカデミー賞にノミネートされ注目が集まるクリエイター・堤大介。彼はアメリカが誇るアニメスタジオ・ピクサーに所属していました。しかし、新たな挑戦を考え、ピクサーも独立しました。いったい、彼はどんなクリエイターなのでしょうか?
堤大介
出典:http://www.gettyimages.co.jp
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1974年生まれ
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母親は詩人の堤江実、父親は放送ジャーナリストのばばこういち、姉はジャーナリストの堤未果
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妻はジブリの宮崎駿の姪
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両親は5歳の時に離婚し、母親の手で育てられている
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和光学園で小学生から高校生まで学ぶ
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1993年にニューヨークに渡り、油絵を学ぶ
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1998年にルーカス・フィルムの傘下にあるルーカス・ラーニングでイラストレーターとして働く
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2000年はブルースカイ・スタジオで視覚効果・色彩指定アーティストになる
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2010年にピクサーに入社する
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ピクサーでは、アイス・エイジ、ロボッツ、トイ・ストーリー3、カーズ2、モンスターズ・ユニバーシティーなどで色彩、照明監督、美術監督などを行う
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2014年にはダム・キーパーで共同監督をつとめ、アカデミー賞にノミネートされている
堤大介のクリエイターとしての言葉・哲学・思い
「僕らの長い人生のなかで、結果というのはいつ出るかわからないものですよね。日本では、大学、高校へ行く受験の時点でまず結果を求められる。その次は、どこに勤めるか、年収はいくらか、結婚しているか、子供がいるかいないか... そういう結果がなかなか出ないことで挫折感を味わう人たちがたくさんいる。でも、本当はそんな必要は全然ないと思うんです。」
「人生の“ハッピーエンド”、つまり幸せの定義って、実は、人が本当に好きなものを見つけたときなんじゃないかと思う。そこから先の結果は、全部おまけみたいなものでしかない。その 結果をとやかく言うのは周りであって、世間のものさしでしかない。ときには、思い切ってレールから外れちゃったほうが楽になる時もありますよね。僕も日本社会のレールから外れたからこそ、アメリカで自分が信じる道を見つけることができたんだと思います。そしてこれからだって、ゴールは変わるかもしれない。それは、ピクサーでのゴールかもしれないし、そうでなくて一人のアーティストとしてのゴールかもしれない。でも、それでいいんじゃないですか。」
出典:http://newpeople.jp/travel/tsutsumi-4.html
映画に関わってきて堤氏が感じたことは、観客と本当に会話したいかどうか、伝えたいものがあるかどうかで、ビジネスにもなれば、そうならないこともあると語っています。しかし、たった一人にでも伝わり、自分が喜びを得られるならば、それも成功ではないかと語っています。堤氏自身は、自分の本当に伝えたいことをいつか作ってみたいとも語っています。
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スケッチトラベルとは、実に71名の著名的なアーティストがスケッチブックに絵を描き足していく壮大なプロジェクトです。1冊のスケッチが世界をめぐり、4年半で12か国をわたり、完成させたアートによるチャリティープロジェクトです。売上は全額寄付され、5か国に図書館が建てられました。このプロジェクトを堤氏は企画したのです。
そして、堤氏が尊敬してやまない二人のクリエイターも参加しました。一人は「木を植えた男」で知られる Frédéric Back監督です。堤氏はこのあこがれの人物に会うことができました。
「初めてお会いしたときにFrédéricさんが目を輝かせて僕に語ってくれたのは、アーティストとは何のために生きるのか、ということでした。自分たちアーティストには使命がある。何らかの形で、僕らの未来のために、そして次の世代のために出来ることを必死で考えながら、自分のアートを作っていくべきだ。そうじゃないとアーティストを続ける意味などない、と。 その姿をみて、ああ、僕も歳をとったらこういう人になりたいな、と本気で思いました。こんなふうに歳をとって、若い人たちにも決して照れる事なく、自分の情熱を分ち合える器を持ちたいと。 〈スケッチトラベル〉での出会いを通じて、僕はFrédéricさんから、アーティストとしても、人としても、大切な襷をもらった気がします。」
そして、もう一人は巨匠・宮崎駿監督です。堤氏の奥さんの名前は『メイ』。そう、となりのトトロのモデルになった人物です。彼女とは和光学園の同級生でした。その縁というよりは、ピクサーの社長のジョン・ラセターと宮崎駿監督が友人ということもあり、埼玉県所沢にある狭山丘陵の森を守るプロジェクトにかかわっている宮崎監督を、ピクサーも支援していたのです。その縁で、宮崎監督にも絵を書いてもらうことができたようです。