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卓球8/15~ブルガリアOP2017

GO Kei! 8/18ウエスタン&サザンOP2017 3回戦 杉田VSカチャノフ(32位)

8/21~世界バドミントン選手権2017

ウエスタン&サザンOP2017ドロー発表!→組み合わせ
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やらなければならないのは、目の前にあることをただ一生懸命やること。たとえそれが自分の夢に直接には関係なさそうな事柄であったとしても、決して努力を惜しんではいけない。そして夢にたどり着いた時に実感するのは、自分に起こった出来事で意味のないこと、無駄なことなど何一つないということ。by市川亀治郎(カメ流より)

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速報      8/18ウエスタン&サザンOP2017 3回戦 杉田祐一VSカレン・カチャノフ

速報      8/17ウエスタン&サザンOP2017 2回戦 杉田祐一VSジョアン・ソウザ

テニス     ウエスタン&サザン・オープン2017 ドロー、組み合わせ表、試合結果

テニス     8/13~ウエスタン&サザン・オープン2017 出場選手、テレビ放送、昨年の成績

速報      甲子園・夏2017 組み合わせ・抽選会 トーナメント表、試合結果(高校野球)

高校野球    甲子園・夏2017 出場校・代表校 地方大会の決勝日程送

卓球      8/15~卓球女子 ブルガリア・オープン2017 試合結果、出場選手 石川、伊藤らが出場!

卓球      8/15~卓球男子 ブルガリア・オープン2017 試合結果、出場選手 松平、吉村ら参戦!

バドミントン  8/21~世界バドミントン選手権2017 トーナメント、組み合わせ、試合結果(女子シングルス)

バドミントン  8/21~世界バドミントン選手権2017 トーナメント、組み合わせ、試合結果(女子ダブルス)

バトミントン  2017年度の大会スケジュール・日程

ジャンプ    高梨沙羅 2017-2018シーズン スケジュール、結果、テレビ放送

ロシアW杯   ロシアW杯アジア最終予選 試合結果・出場国・組み合わせ・テレビ放送(抽選会についても掲載)

熊谷一弥 錦織以前に存在していた伝説的プレイヤー(日本初の五輪メダリスト 日本テニス界で2人しかいないメダリスト)

日本テニス界にとって偉業をなしとげた選手こそ熊谷一弥です。90年以上の時を経て錦織というトップレベルの選手が現れたため、再び注目を浴びることになりました。このページでは、熊谷一弥について掲載しています。

熊谷一弥(くまがい いちや)

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福岡県大牟田市生まれ

166㎝/左利き

最高ランキング:3位(全米)/7位(世界)

1890年から1968年(明治~昭和43年)まで生きたテニスプレイヤー。 日本テニス界の黎明期に活躍、特に日本人として、世界大会でいち早く活躍した選手である。 慶應大学、現・東京三菱UFJ銀行で勤務しながら、プレイヤーとして活躍した。

1918年には、全米選手権で、ベスト4(グランドスラムで、日本人史上初)。

1920年には、アントワープ五輪で、シングルス、ダブルスで銀メダルを獲得。これは、テニス界唯一の五輪メダルであるだけではなく、日本のスポーツ界初のメダル獲得だった。

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中学時代は、野球や陸上の中距離選手として活躍。

慶應大学に入学後、テニスプレイヤーとして活躍していく。

慶應大学は、日本で最初に硬式テニス(ローンテニス)を始めた大学だった(熊谷は最初、日本独特の軟式テニスを行っていたため、その時に身に付けた技術が、硬式に転向して大いに活かされた)。

1913年には東洋選手権大会でベスト4。この時、全米2位のビル・ジョンストンのプレーに衝撃を受けた。また、この大会が、日本選手で初めての海外遠征となった。

1915年の極東選手権競技大会では、シングルス、ダブルスで優勝。

1916年の東洋選手権大会では、シングルスで優勝した。

同じ1916年には、全米選手権に三神と共に初出場、日本人としても、四大大会に初めて出場したことになる。この時、熊谷は軟式だった主流のウエスタングリップに加え、左利きの独特のドライブを駆使、慣れていないトップ選手を苦しませた。熊谷はソフトテニス出身だった。

熊谷はアメリカ遠征において、60人と試合をして、土のコートでは1セットも落とさなかったという。しかし、芝のコートでは4人に負けるなど、強力なサーブに苦しんでいる。

1918年の全米選手権では、ベスト4進出。

1920年のアントワープ五輪では、競泳、陸上で日本が世界との差を見せつけられる結果となったが、テニスは違っていた。シングルス、ダブルスで銀メダルを獲得。ダブルス・パートナーは柏尾誠一郎である。

メダル獲得は快挙だったが、金メダルを取れなかったことを、のちのちまで悔やんだという。特にダブルスの日は雨のため、メガネをかけていた熊谷にとっては、不利な状況だった。

1921年には、初めて日本がデビス杯に出場、柏尾誠一郎、清水善造と共に、日本代表に選ばれている。

熊谷は30歳を過ぎた頃から、世界大会への出場も減っていたようだ。

1924年には「テニス」(改造社)という本を出版した。

1951年にはデビス杯の監督としてアメリカを訪れると、「熊谷、ニューヨークに帰る」と、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された。熊谷の名は、アメリカでも、しっかり記憶されていたのである。

1953年にはコーチであるウィン・メース著書の「テニス技術」(講談社)を翻訳している。

偉業の道をたどる錦織

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Marianne Bevis

全米OP2014で、準優勝を飾った錦織。準々決勝ではワウリンカを破り、ベスト4に進出しました。熊谷が1918年に記録したベスト4ですが、実に96年ぶりに、錦織が時代を超えて、記録を作ったことになります。 この錦織の活躍により、熊谷一弥が再び注目されることになりました。

2016年にリオ五輪に出場する錦織は、メダル獲得という偉業にも挑むことになります。

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