手倉森誠 日本代表をリオ五輪に導く! 人物名鑑
前評判の低かった日本代表U-23世代を率いて、見事にリオ五輪出場、大会優勝をなしとげたのが手倉森誠監督です。このページでは、手倉森監督について掲載しています。
手倉森誠(てぐらもり まこと)
青森県出身
1992年まで鹿島アントラーズ(旧住友金属)に選手として所属した。 しかし、Jリーグが開幕する前の年に契約解除となり、サッカーが嫌いになったこともある。
その後はモンテディオ山形(NEC山形サッカー部)に移籍し、引退する1995年まで所属した。
山形の監督だった石崎信弘の勧めで、指導者となる。
モンテディオ山形や大分トリニータのコーチを経て、2004年からベガルタ仙台のコーチとなった。
2008年にベガルタ仙台の監督に就任。
2009年にはJ2で優勝し、J1に昇格。
2010年は14位
2011年は4位
2012年は2位となり、AFCへの出場権も獲得。
2013年にU-21日本代表監督に就任。
AFC U-22アジアカップ2013ではベスト8敗退
J1通算成績は136 試合で50勝47分け39敗
J2通算成績は93試合で50勝26分け17敗
Jリーグ生え抜きの監督として、結果を出せるかに注目が集まる。
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2016年のリオ五輪アジア予選では、CBのターンオーバー制などを導入、試合ごとに積極的にスタメンを変えて過密日程を克服。大胆な選手起用が当たり、日本を優勝に導く。
北朝鮮に1-0、タイに4-0、サウジアラビアに2-1、イランに3-0、イラクに2-1、韓国に3-2で勝利と、全勝優勝をはたしている。
ベガルタ仙台時代には「チームが一体になるよう努力をしてくれる選手」「チームのために自己犠牲の精神を持てる選手」と仕事がしたいと語っている。
また、仙台で優勝してJ1に上がった時には、積極補強も可能だったが、あえてせずに、J1に挑むなどしている。
「日ごろの積み重ねが結果を生む」「人生には謙虚さと反骨心を持つことが大事」だという信念がある。 選手時代は独りよがり、反骨心ばかりで、謙虚さが足りなかったという反省からきている。
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